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畠山地平

"Dedication"

 2008年の来日公演でのライブパフォーマンスが話題になったハニー・オーウェンズによるユニットのヴァレーやスター・オブ・ザ・リド、オーティスティック・ドーターズといった最近のリリースもさることながら、その内省的な雰囲気の強固なレーベルカラーによって90年半ばより人気を集める米krankyの唯一の日本人アーティストとして知られる畠山地平。彼のファースト・アルバム"Minima Moralia"に続くセカンド・アルバム"Dedication"がmagic book recordsより発売される。

 畠山は、ジョン・ヒューダックやウィリアム・バシンスキなど多数のアーティストをリリースするspekkよりアルバムをリリースしているユニットのオピトープ(Opitope)にて伊達伯欣とともに活動している。彼らの音楽制作における特徴は、生楽器のデジタルプロセッシングとラップトップベースの即興演奏という点にあり、そんな事は今となってはもはや特筆すべき点ではないのだが、その演奏での質においては、細かい音程や音色、出音の緻密さという点で一つ抜きん出た演奏力を持っている。それらは彼らが主催するセッションイベントや、普段から自室スタジオで夜な夜な繰り広げられる数々のセッションによって培われたものだろう(実際彼らは何百時間にも及ぶセッションの録音ファイルを常にストックしている)。

 しかしながら、この"Dedication"での畠山はこれまでとは違うアプローチから音源を制作している。自室の窓を空け放って独りつま弾くアコースティックギターカリンバ、引っ越しによる環境音の変化やそれに伴う日常生活の具体音(自転車の空気入れから椅子の軋みまで)、そしてセッション後に帰宅する伊達の足音・・・。これまで以上にパーソナルな雰囲気の楽曲群はたくさんの思い出や郷愁のようなものを思い起こさせる。そういった牧歌的な音楽は、現在ではしばしば揶揄の対称となることもあるが、先端的で批評性のある音楽をやっていると自負しているような狭義の即興音楽や実験音楽のほとんどが既に形骸化しているか人真似でしかないものばかりで辟易してしまうこの現状において、そういった対角線を引く事でしか自分の立ち位置を確認できないということは、既にそれ自体が脆弱であることの現れではないだろうか。この"Dedication"は決して自己憐憫に陥るような軟弱なものではない。常にファイルを更新して新しい音を生み出し続けようとする彼の姿勢もそこには垣間見えるだろう。

 もうかれこれ数年前、古館徹夫や渡邊ゆりひとが出演していたイベントにて、畠山のオピトープ以前のユニットであるValyushkaのライブを初めてみたとき、彼が被っていた帽子の雰囲気からか、寡黙になった『駅馬車』のジョン・キャラダインのように見えて、なんとなく怖い人だなぁーと思って緊張していたら、会って話し出すと急にハニカミ(?!)的な笑顔になるのが印象的で、なぜかこのアルバムを聴きながらそれを思いだしました。






□ ASUNA

Opitopeの「畠山地平」の2nd.アルバムのライナー・ノーツより転載。(2008.08.22)